駅弁と文化
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地域の食 学校給食・配食サービスなど
1901年(明治34年)に創業した当社は、おかげさまで創業120年を超えて、
皆様にご愛顧いただきながら、育てていただきました。
そんな当社の歴史を、年代順にご紹介いたします。
1901年(明治34年)、初代社長の中島卯吉が「中島改良軒」を創業。当時19歳で蒸気機関車の運転士だった卯吉氏は、明治天皇が乗車された“お召し列車”を運転。ピタリ定刻・定位置に停車させた功績を褒められ、広島駅構内で営業する権利をいただきました。
若き初代社長の功績が、広島駅弁当の出発点だったのです。山陽鉄道株式会社の承認を得て、中島卯吉が中島改良軒を創業。
そして1943年、広島駅構内営業者だった中島改良軒と羽田別荘弁当部、吉本屋の3社、そして海田市駅構内営業者の山岡甲了軒と太田山陽軒の2社、合計5社が合併し、広島駅弁当株式会社が設立されました。
「廣島上等弁当」
創業当時の「上等弁当」を再現し、復刻発売したのが「廣島上等弁当」です。煮物や魚の西京焼きは、当時のおいしさを再現しています。
1945年の原子爆弾により、当社の社屋と工場も消失しました。
しかし大きな被害の中で、広島の皆さんが精いっぱい生きる努力をされている状況を見て、当時の中島社長は意を決しました。
『いち早く、駅弁事業を再開し、広島を食で支えていこう』とそのためにいち早く新社屋の設立などに動き、お弁当の販売を再開しました。
この時の新社屋は『原爆後の広島市建設許可第一号』となりました。
牡蠣めし・牡蠣の駅弁
戦後の復興の中で、市民の皆さんに愛されたのが、牡蠣の駅弁です。
広島名産の牡蠣を使い、多くの駅弁を販売してきました。現在では5つの牡蠣の美味しさが楽しめる「広島牡蠣づくし」(2023年発売)が好評いただいています。(冬季限定品)
1975年に新幹線が広島駅乗り入れ開始し、広島でも旅行客が大幅に増加しました。当社の駅弁も、新幹線を利用されるお客様に、数多くご愛顧いただきました。 また1994年は、アジア大会の公式お弁当サプライヤーに採用いただきました。現在のJR矢賀駅近くの本社・工場は、この当時に新設いたしました。
あなごの駅弁
新幹線開業・旅行ブームの中で、広島名物・宮島名物として誕生したのが、あなごの駅弁。今では牡蠣の駅弁とあなごの駅弁が、広島の2大名物駅弁になっています。
1990年代後半からは、日本経済も不況が続き、さらに阪神淡路大震災・東日本大震災そして新型コロナなど、自然の猛威も加わり、人々の暮らしが揺さぶられた時代でした。
そんな中、当社は今まで育てていただいた地域に還元したいと考え、「食を通じて地域の課題を解決する」を経営理念にかかげ、高齢者配食や企業給食、そして学校給食など駅弁以外でも皆様の暮らしを食で支えていけるよう、展開を広げてまいりました。
「広島よりどり弁当」と地域貢献
2023年広島で開催されたG7サミットを記念して発売されたのが「広島よりどり弁当」です。
G7で来広されるお客様に向けて、広島の良さを知っていただけるよう牡蠣・穴子・広島牛など県内の特産品を集め、「1つで広島の美味しさが楽しめる」お弁当にしました。
広島駅弁当株式会社
〒732-0042 広島県広島市東区矢賀5丁目1-2
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